面白いから選んだ有機栽培。"この地にしかないもの"が集まる場を作る。

京丹後市弥栄町で有機野菜を栽培するSORA農園の大場亮太さん。2020年で7年目となり、現在は年間およそ100種もの有機野菜をほぼ一人で栽培。収穫した野菜は近隣地域の旅館や飲食店へ出荷している。また、奥さんの佐代子さんは同じ弥栄町で「キコリ谷テラス」というお店を運営。近隣地域を中心にこだわりの有機野菜やお菓子などが並び、地元の方々を始め多くの人が買い物に訪れる。
 "SORA"という名前は、「空を見上げた時のように、人が笑顔になれるものを作りたい」という想いから名付けたもの。その想いのもと農業とお店の運営に携わる二人に、今までの活動と今後の取り組みについてお話を伺った。

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立派に育ったエビ芋。「今年やっと、大きく育てることができて本当に嬉しい」

農家になったきっかけは東日本大震災。「もっと直接的に人の役に立てることを」

農家になる前は神奈川県に住み、音楽制作、アニメーションやグラフィックデザインの制作などのエンターテインメントを手がける会社を経営し、ご自身も制作活動を行なっていた大場さん夫妻。そんなある日、東日本大震災が起こる。未曾有の事態により仕事はストップ。自身の生活も当然影響を受けたが、それよりも日夜報道されるボランティア活動や災害支援で人と人がつながる様子を見て、「どうやったらもっと直接的に人の役に立てるのだろう」と考えた。もともと農業に関心があった亮太さんと、フードコーディネーターの学校に通っていた佐代子さん。「今まで音楽やデザインで人を繋げてきたように、食や健康を通して直接的に人と人をつなげたい」と考え、農業を始めて野菜を人々に届けるということに行き着いた。
 そう決めてから、まず山梨県にある農業大学校で農業を学び始めた。当時は慣行農法を主に学び、有機農法について知らなかった亮太さんは農薬を使用することに違和感は無かったという。ところが授業の中で有機栽培を行なった際、土や環境の性質が野菜の味にダイレクトに現れる有機栽培の方が面白く、持続可能で将来へと繋いでいける方法であることに魅力を感じ、有機栽培で農業を行なっていこうと決めた。
 次に行なったのが、就農する場所選び。およそ2年かけてさまざまな場所を訪れ、山梨県を第一候補と考えていたとき、「たまたま私の祖父のお墓参りで来たのがこの京丹後で、その時に夫が気に入ってしまったんです」と佐代子さん。他の場所と何が違ったのかと尋ねると、「海ですね。真夏の真っ青な海に圧倒されて」と亮太さんが即答。白い砂のビーチに、広々とした雰囲気の土地、美味しい山と海の幸。まさに一目惚れのように直感が働き、京丹後への移住が決まった。

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土から顔を出すかぶ。冬が近づき甘味を増す。

大変なことも有機栽培の面白味のひとつ

すぐに農業を始めたいと思っていた2人は、京丹後に移住してすぐに有機農業をしている農家へ押し掛けた。「ここがどういう土質なのか、どういう野菜が適しているのかが知りたいってお願いして、教えてもらうことはとにかく覚え、頭と身体で覚えていきました」と大場さんは当時を振り返る。3か月の勉強期間を経て、ついに1反(990㎡)の畑から野菜作りが始まった。
 亮太さんは特に土壌を育てることの面白さを感じ、「幸か不幸か、京丹後の土壌は養分が少ない真砂土と呼ばれる花崗岩が混ざった土。良い土になるように工夫をして、それが野菜となって答えが出るのが面白い」と話す。集めてきた落葉から土を作り、知り合いから仕入れる安心な牛ふん堆肥を土質のバランスを考えながら混ぜて養分をプラスするなどして、毎年改善や工夫を重ねてきた。亮太さんは機械を触るのも得意で、改造して作業効率アップのための専用機まで作ってしまう。「こうしたらもっと良くなるんじゃないか」と日々考え実行し、気付けば現在1.4町(13,860㎡)もの面積で作付けするまでになった。
 有機栽培は植物の病気や虫の被害もたびたび起こる。今年はダイコンサルハムシという大根の葉を食べる虫が大量発生した。これは2年前から積雪が少なく虫が冬に死なないことが原因で、葉が出たばかりの頃に食べられると光合成が出来ず野菜が育たない。「今年は雪が積もってくれないと、また来年大変なことになる」と心配そうに葉を撫でる亮太さん。苦労も多い有機栽培だが、それもまた面白味の一つなのである。

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丸々と育った野菜たち。中でも大きな生姜は亮太さん一番の自慢。「7年目にしてやっと大きく育ちました」

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「その時にある野菜を混ぜてサラダを作ると、色んな味がして美味しいですよ」と佐代子さん。

「生産者と食べる人の顔が互いに見えること」にこだわりたい

現在、SORA農園の野菜の販売先は、地元スーパーや近隣地域の飲食店などが増えてきている。以前は大阪や東京などの都市部へも送っていたが、京丹後で農業をしている意味を改めて考え、出来るだけ地元に販売することにした。繋がりが繋がりを呼び、「ある旅館では、従業員さん全員が畑の見学に来てくれて、旅館でお客さんに野菜の説明をしてくれているんです。そういう繋がりを大切にしています」と佐代子さんが教えてくれた。地元の野菜を使うことで特色を出せる飲食店側のニーズにも応えていくため、各季節に色々な野菜を栽培して提供する。
 佐代子さんが主となり運営している「キコリ谷テラス」では、亮太さんの有機野菜はもちろん、近隣地域で栽培された有機野菜や無農薬野菜、ケーキやお菓子などの食品を販売している。最初は農業の作業場として借り始めた場所だったが、地域の方々から「SORA農園の野菜が買える場所はないの?」という声が届くようになり、まずは野菜とソフトクリームから販売を開始。それからというもの次々に品物が増え、今では地元や近隣地域の業者のこだわりの商品がところせましと並ぶ。また商品だけではなく、お店で使われているショーケースは京丹後市の地域おこし協力隊の方に作ってもらい、大きな流木の飾りは仲間の手作りで、"みんなで作っている場所"という佐代子さんの言葉がぴったりだ。

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キコリ谷テラスの店内。想いが詰まった商品が並び、野菜にお菓子とついついたくさん買ってしまう。

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お話する佐代子さんと亮太さん。笑顔が絶えない2人。

野菜作りとお店の運営を通して、京丹後にしかないものを生みたい

キコリ谷テラスには一年を通して色々な人が集まる。地元の人、都会の人、京丹後に移住してきた人、新規就農した人。地域のお年寄りも立ち寄り、年齢層も幅広い。野菜を買いに来たはずの初対面のお客さん同士が、会話を楽しんでいたり、「こんなのがあったら面白いかな」とビジネスのアイデアについて話をしていたりするという。亮太さんは「新しいコミュニケーションの場になっていることが嬉しい。作りたかったコミュニティスペースになってきている」と話す。
 現在二人が仲間たちと取り組んでいるのは、"丹後地域にしかないものをつくる"ということ。「私たちは野菜を作って、美味しく食べてもらうための提案をしていく。たくさん仲間がいるから、それぞれの活動をお客さんに提案できれば、もっと魅力的なまちになると思っています」と佐代子さん。都会の真似をするのではなく、地域の環境や人の特徴を活かすことで個性あるまちにしていく。"この地にしかないもの"に出会いに、ぜひ訪れてみてほしい。

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キコリ谷テラスの周辺も緑がいっぱいで気持ち良い。美味しい体験をしに、ぜひご来店下さい。

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